母と祖母と太平洋戦争2

祖母は戦争未亡人で戦後出戻り、再婚した。母はその亡くなった祖父Aとの間にできた娘。
再婚した祖父Bはとてもやさしい人で、N吉は初孫としてずいぶんかわいがられた。ちなみに、祖父Bと血がつながっていないことは、N吉は小さい時分から聞かされて知っていた。
祖母、祖父Bとも老齢にて介護が必要な状況になり、物忘れも尋常ではない。だから、ふと思い立って、戦争のことを聞いてみようと思った。以下は祖母への聞き取りによるもので、どこまで真実かは明らかではない。機会があれば補いたい。


祖父A(以下、多美丸とする)は、祖母の近所に住む軍人だった。軍人という職業のない現在では想像しにくいが、どうやらステイタス感ある職業であったらしい。しかもイケメンで、祖母は惚れたらしい。結婚の詳しい経緯は聞かず。


祖母は、大正10年生まれ。
昭和17年4月、祖母は町内に住む多美丸と結婚。多美丸はすでに満州に出陣したことがあり、軍曹だった。この時点では神戸製鋼に勤めていて二人は神戸で所帯を構えた。
昭和18年11月、母(以下、ワルコ)誕生。
昭和19年4月、多美丸出征。再度の召集がかかったことで、これは負け戦だということはなんとなく感じられたらしい。多美丸が出征前、布団の中で裸ん坊の赤子ワルコを、自身も裸になって、ぬくもりと肌触りを確かめるために抱いていた様を、祖母は今でも鮮やかに思い出すことができるという。
多美丸はミンダナオ島へ。葉書は1枚届いた。雨が降って悲しい、という内容。
昭和20年、戦後すぐに多美丸は出征先で亡くなった。
戦後、祖母は実家に戻る。ワルコは5歳。以降、多美丸の母の家でワルコは育つことになる。
昭和22年、祖母再婚。その後、男女をもうけた。N吉には伯父伯母にあたり、二人にもかわいがってもらった。


父がいなかったワルコに、まだ子供だったN吉は、さびしくなかったのか聞いたことがある。その時にワルコが答えた言葉を聞いて、N吉は、いつか戦争のことを聞いて書いておかなあかんって思ったん。
「寂しくなかった。だって、父親がいない子はいっぱいいたから」


戦争って、家族を理不尽に奪われるってことなんだ。だから、してはいけない。