あっという間に日は暮れて

すっかりさぼり気味ですんません・・・。
毎日いろいろ発見はあるのだけれど、びっくりするほどあっという間に一日が過ぎてしまうのであります。家事をするだけなら楽勝(完成度は問わないでください)なのに、つねに「待合室で待機してる」ような状態で、お呼びがかかればすぐに参じねばなりませぬ。しかも参じたからといってすぐ解決するとは限らず、ご機嫌斜めでぐずる赤子をあやしていたらすぐに一時間くらいたってしまう・・・おそるべし、育児。


それでも、少しずつ外出したりできるようになったので、またおいおい書いていこうと思ってます。

帰洛しました

田舎で両親に助けられながら育児しておりましたが、先日、京都に戻ってきました。
まだちょっと寒いなあ。
米子では、三色昼寝つき、買物も風呂も親任せという重役ライクな生活でしたので、心を入れ替えてクライアントにおつかえしております・・・。


予防接種がいろいろ面倒なのね・・・。
きちんとやっていけるのか、かなり不安です。


ぐずる赤子の体をやさしくトントンすると寝入ってしまうのを見てると、自分が、誰かにとって安心できる存在であることの喜ばしさと責任を感じます。がんばらにゃ。

いのちのかくご

9ヶ月前に書いた記事。
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出産に際し、自分が色々と高リスクなのは知ってたが。


流産危機は去り、相方(在宅の限り診察には同行)とともに幾分ほっとした気持ちで迎えた診察日。
が。医師がエコーを見ながら顔を曇らせる。胎児に少々問題があるかもしれない、羊水検査を受けますか、と。羊水検査は、ダウン症という言葉とセットでなんとなく頭にあったN吉ですが、動転して「検査を受けるということは、中絶するということですか?」と聞いてしまいました。
予め子供の状態を知り、それに備える意味もあるとのこと。検査を受けられる期間は決まっているので、よく相談してね、と帰されました。


おおまかな説明は受けたものの、とにかく初めてのこと。ネットで情報収集です。
わかったのは以下のことでした。
・高齢妊婦は障害児を生む確率が高い(これは知ってたけど)
・胎児の首の後ろに水袋(NTというらしい)ができることがあり、この厚みとダウン症には相関があることがあるらしい
・羊水検査とは羊水を採取して培養することにより、ダウン症を判別できる検査
・羊水検査は培養時間がかかるので、中絶の場合は、時間的制約がある
・わずかな確率ながら、羊水検査で流産することがある


相方と話し合いました。
・検査を受けるなら、流産のリスクもあるし、結果によっては中絶まで視野に入れねば
・中絶した場合、次の受精確率は不明。しかも年齢は上がるので、今以上にリスクも増大。子供を諦める覚悟も
・羊水検査でわかるのはダウン症か否かだけ。他の病気を持って産まれたり、死産だってありうる


というわけで、検査は受けないことにしました。
産まれたら、どんな子でも、育てる決心をした。
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生まれた子は、ダウン症ではありませんでした。出生前のエコー検査については、クローズアップ現代でも特集されてたんやね。実際に、エコーを見ての中絶が増えているというデータをどこかで見たことがあるように記憶してる。

出産しました

無事に出産し、退院してまいりました。
しばらくは、わがままクライアントの奴隷生活です。


出産前日の夕方に四条河原町のマルイふたば書房まで散歩に行き、スタバで一服してる頃から規則的な痛みらしきものがはじまり、iphonアプリの陣痛時計を使用開始。
夕食、入浴を終えてもズンドコひどくなる痛み。産院に連絡して、ようやくお許しが出て登院したのが朝の5時でした。
しかし「こりゃ前駆陣痛でまだまだ」と言われ、危うく帰されそうに。前駆だかなんだか知らんけど、痛いっつーねん!
もう最後のほうは、気を失っている間に割腹してくれ〜と願いながらうめきまくり、強制破水されて、子宮口が全開になって分娩室に入ったらすぐ産まれました。午後3時ごろでした。未体験の人にあまり脅しをかけたくないけれど、ほんとに痛かったあるよ。叫びまくったった。痛いから体に力が入るんだけれど、そうするとお産が進まないから呼吸をしながら力を抜くように、というのがなんとも難しかった。
分娩室に立ち会った相方は汗と涙でえらいことになってましたが、こちらは口も目もカラカラで、涙も出やしない。ぐったり疲れたというのが実感でした。


自分の腹の中から出てきたとは思えないほど、赤ちゃんってでかい(うちの子は小さめやけど)。
そりゃ下も裂けるわ。まだお尻が痛いよう。


流産危機だった3月ごろ、お腹を撫でながら「この世の中は、とてもきれいだし、おもしろいから、もうちょっとそこにおり」と言い聞かせていた小さな物体が、こんな大きさになったんやなあ、と感慨深いです。いや、これから育てるんじゃが。


妊娠期間中、色々お気遣い・お助けいただいた皆様、本当にありがとうございました。
皆さんのおかげで、無事に生まれました。まずはご報告。

夕ご飯は肉まみれ:久美浜・篠山05

二泊目のお宿は料理旅館玉川楼。こちらは、肉屋さんが旅館を買い取って居酒屋的営業をしてて、宿は付け足しっぽいところなので、建築には期待せず、ウマ飯を喰うぞ!ってことで選びました。
宿泊客は我らだけでしたが、1階のお料理屋さんは満員〜。
たしかに旅館的サービスというか満足度はイマイチでしたが、牡丹鍋うまかったよ!濃厚な味噌入りの出汁の味が牡丹鍋の決め手で、各店、秘伝だそうでたしかに熟成されてこっくりしたお味でありました。

↑肉も○だが、芋がもっちり旨かった

↑建具もええかんじ


ところで、篠山は車さえあれば京都・神戸・大阪からそれぞれ1時間ちょっとでアクセスできる土地だということをY氏にお聞きしました。
だから今、ものづくりをする若い人を中心に移住者が増えていて、楽しげなお店もできつつあるということです。しかも、そういう人たちに空家を貸す行政がしっかり機能している。ここ(クラッソ)なんか読むと、熱意もセンスも感じられて応援したくなります。


明朝は、篠山にお住まいのM氏が部屋まで会いに来てくれはりました。
お久しぶりどす〜。
これまた色々な見どころを伺い、本日の予定を立てる。


城跡の北側に東西に伸びる青山通から散策開始。
残念ながら資料館は休館だったものの、春日神社や駄菓子屋さん、お茶屋に八百屋をしばきつつそぞろ歩く。
町の規模が広くて歩くのがしんどいかな、と心配していましたが、色々なお店や施設があるので、つらくありません。還暦世代男女客が多かったです。
今の季節しか出回らない栗系饅頭(年中食べれる栗系もあり。お店で教えてもらえます)をあちこちで買い食いし、解禁された丹波枝豆の購入に惑い、洒落た若人店のプラグストア(←お店webは見つかると思うので、同様なところを回ってらっしゃる方のぺえじを)や喜多俊之さんのギャラリー(←写真スゴイデス)を覗いて回る。うん、町に厚みがあるというか懐深くて、歩くの楽しい!



すまん。しつこくつづく。

久美浜からいざ篠山:久美浜・篠山04

久美浜には湾があります。バブル期にはちょっと開発されたっぽいけど、大きなホテルは廃墟になってました。湾をぐるっと一周。
調べてきたわけではありませんでしたが、旧市街は町並み整備が行われてる模様。地元の大商人、稲葉本家の家屋が整備され無料公開されていたので見学しました。日本海側にある大屋敷なのに明るい印象なのは季節と真ん中に取られた中庭のせい? 近代和風な座敷に風が通って気持ちいい。お庭には佐野藤右衛門さんとこが入って整え中でした。
↓石は組まれていない庭
   
    
↑欄間のモチーフはなんだろ?
  
↑元からこういうデザインなんだろうか?謎
稲葉家は自費で鉄道まで引かはったそうな。帝王学というか、ノブレスオブリージュというのか、そういうものについて相方と話した。


久美浜の物産販売所でちらりと買物をし、相方は網野加悦の町並みと常吉村営百貨店を見学して(N吉は体力温存のため後部座席でトド化)、一路篠山へ。
市役所でY氏から篠山についてのレクチャを受け、車を置いて町並みに繰り出しました。
京阪神エルマガジン社のRicherまるまる丹波篠山がお供です。
ま、明日もう一日あるから今日は下見がてらのんびりなんやけど。


中心に、城跡のある篠山の町。
京都から伸びてきた街道が商人地となって、城跡の南東部に到達しています。修景の進む河原町通を東へ進む。古美術店、書店など、ええ感じの店構えが続く。
  


篠山川に突き当たったところから、公営住宅の連なる通りへ折れる。なんか気になるかっこいい住宅群。
  


天然酵母パンの店、白殻五粉でパンを買い、古本屋をしばき、本日のお宿料理旅館玉川楼へ。
しつこくつづく。

待つべし!ひたすら待つべし!!

臨月に入りました。


これから予定日を挟んで前後5週間の間に産まれるようです。
5週間……長いよ。


考えてみれば社会人になって以来、何でも自分のペースで物事を進めてきたような気がするN吉。5週間にもわたって何かを待ち続けるなんてこと、したことがないんじゃなかろうか……。
もうね、めっちゃわがまま著者ちゅうか、クライアントに当たったと思って、楽しむことにしますわー。


しかし、さすがに、腹が重くて色んなことが億劫です……。
なのに、ここへ来てO医師より「どんどん歩いて」指令が。え〜、もう充分に夜お茶散歩もしてきたし、ご近所歩くのは飽きてきたなあ。
引きこもらずに用を作って出かけるようにしなくては、です。